昨夜、東北を再度襲った大きな余震。
幸い大きな津波被害がなかったようで本当によかったですが、避難者の恐怖感はいかほどのものだったかを想像すると、お気の毒で「いいかげん人間をいじめるな!」とやりどころのない怒りに腹が立ちます。
とはいっても私の住んでいる横浜は震度3。本当の意味でその恐怖を関東に住む我々はまだ感じていないと思っています。
朝日新聞社発行の週刊誌「AERA」緊急増刊 4月10日号「東日本大震災 100人の証言 私たちはどう生きていけばいいのか」という特集では、有名無名問わず100人の方がこの震災に対する意見を述べています。
その中に「バカの壁」で有名な養老孟司氏が「『答え』はいつも目の前にある 見えていないのは『問い』のほうだ」というコメントをしていました。
文の主旨は違えど、このキャッチを見た私は「確かにそうだ」と感じました。
マスメディアの代表であるテレビはいつも通りのプログラムに何もなかったようにシフトをしてきており、NHKを除いてはニュース以外に震災に触れる番組がほとんどなくなってきている。
あるとしても被災者の涙、または感動秘話のみ。
痛みを分かち合うことももちろん大事ですが、全部が全部そうではなく、私達は今こそ「これからどうするの、私達?」という「問い」に対して向き合うことをしなくてはならないんじゃないかと思います。
このテーマに関しては、それこそ「自粛」とかじゃなく、このまま何となく復興するのではなく国全体で1つチャンネル作って「これからどうする論」を戦わせ続けてもいいんじゃないかと思うくらいです。
3万人を超える死者・行方不明者がおり、かつ福島原発の放射能は漏れ続け、空気、水、食糧、土壌全てを汚染し続けている。でも最大のマスメディアであるテレビはどんどん普段通りになってきている。そんなことにちょっと不安を感じていた矢先の地震。
「震災はまだ何も終ってないんだ。気を抜くな。今を生き抜くのに必死な被災者の代わりに、元気なお前たちが未来の為にもっと考えろ。」といわれているように感じました。
しかし「これからどうする論」は長期的な視点で話すことが重要です。このテーマに関する話を粘り強く続けていけるように、炭火のようにじわじわとした、しかし熱いコミュニケーションが必要とされるのではないかなと感じます。
1件のフィードバック
ほんまに まだまだおわらない。
このことから目を背けず まっすぐ立ち向かい
なにかできること
このことからなにを学ぶかを真剣にかんがえなければ
3万人を超える方の
犠牲が 意味無きものになってします。